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東京地方裁判所 昭和53年(ワ)4228号 判決

原告

三輪新吾

右訴訟代理人

新美隆

藤沢抱一

被告

株式会社理想社

右代表者

下村鉄男

右訴訟代理人

松崎正躬

奥毅

主文

原告の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  原告が被告に対し雇用契約上の地位を有することを確認する。

2  被告は原告に対し、金一、五一四万四一〇九円及びうち金六二六万四二一九円については昭和五三年五月一九日より、うち金八八七万九八九〇円については昭和五六年八月二五日より完済に至るまで年五分の割合による金員並びに、昭和五六年八月二一日以降毎月翌二五日限り、金一九万二九二〇円を支払え。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

4  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二  当事者の主張

(請求原因)

一  当事者

被告は図書雑誌の出版等の事業を営む株式会社であり、原告は昭和四三年四月被告会社に入社し、以降編集部員として書籍編集の業務に従事していた。

二  本件解雇

被告は昭和五〇年五月一五日原告に対し、被告会社就業規則一四条四号(四二条六号後段)により解雇する旨の意思表示(以下「本件解雇」という)をなし、本件解雇以降、原告の雇用契約上の地位を否定し、原告の就労を拒否している。

三  本件解雇の無効

1 本件解雇は職場外の純然たる私的行為(政治活動)に対してなされたものであり、何らの有効性を持ち得ない。

(一) 本件解雇はいわゆる通常解雇の形式をとつているが、解雇理由は就業規則中の懲戒事由に該当するというのであるから、実質は懲戒解雇にほかならず、その法的効果を論ずるにあたつては懲戒解雇として検討する。本件解雇の対象は、実質的には原告の昭和四六年五月三〇日の行為であるところ、右行為は職場外で純然たる私的生活上なされたものであり、かつ、原告の政治的確信に基づいてなされた政治行為である。思想表現の自由、政治活動の自由が基本的人権として保障されている現憲法秩序の下にあつては、少くとも職場外での政治活動の自由は何人もこれを侵害することは許されず、職場外の私生活について他から制約を受けるいわれは全くない筈である。懲戒権の本質については諸説があるが、仮りにその存在を認めるにしても、その機能、目的からして、それは企業の経営秩序に違反しこれを乱した者に加えられる制裁たる「秩序罰」であり、使用者の就業に関する指揮命令権を根拠にして認められるに過ぎない。つまり懲戒権は労働契約に基づく労働力の提供、消費過程即ち就業に関する秩序維持を担保しようとするものであるから、就業とは何ら関連性を有しない本件原告のなした行為の如き私生活領域には本来的に及ばないものである。懲戒権が例外的に職場外の私的行為に及ぶ場合があるとしても、右行為が懲戒処分の対象となり得るためには、職場規律ないし経営秩序の紊乱、企業財産ないし人的組織に対する侵害との直接の結びつきがなければならず、かつ、右にいう紊乱、侵害の要件については、抽象的、主観的なものであつてはならなく、客観的かつ、少くとも具体的侵害発生の可能性が必要とされるべきである。

(二) 被告が本件解雇理由として主張する就業規則四二条四号(「会社の名誉もしくは信用をきづつけたとき」)及び六号(「不正不義の行為により従業員の体面を汚損したとき、または犯罪を犯し禁固以上の刑に処せられたとき」)に該当するためには、単に「犯罪を犯し、禁固以上の刑に処せられた」という外形的事実だけでは足りず、前記のとおり、原告の行為が客観的にみて企業の秩序ないし規律の維持又は企業の向上と相容れない程度のものであつて、これによつて現実に企業の社会的地位、信用、名誉(これは決して経営者の有する主観的な名誉感情のことではない)が著しく毀損され、企業にとつて、もはや当該労働者との間の雇用関係の継続を期待し得ない具体的な事情が認められなければならない。〈以下、事実省略〉

理由

一当事者等

原告が昭和四三年四月図書雑誌の出版等の事業を営む被告会社に入社し、以降編集部員として書籍編集の業務に従事していたこと、被告会社が昭和五〇年五月一五日原告を解雇したとして原告の雇用契約上の地位を否定し、同月一六日以降原告の就労を拒否していることは当事者間に争いがない。

二解雇の意思表示

被告会社が昭和五〇年五月一五日原告に対し、「原告は就業規則四二条六号後段の『犯罪を犯し禁固以上の刑に処せられたとき』に該当し懲戒解雇に相当すべきところ、一等を減じ就業規則一四条四号の『四二条一号ないし九号の規定に該当し、情状により懲戒解雇に至らないと認めたとき』により解雇する。」旨の意思表示をしたことは当事者間に争いがない。

三原告に対する有罪判決

原告が昭和四六年五月三〇日明治公園で開催された沖繩返還協定締結反対の集会に参加した後のデモ行進の際、兇器準備集合、公務執行妨害の現行犯として逮捕、勾留された後、同年六月二一日右両罪名で東京地方裁判所に起訴されたが、同年一二月一三日保釈許可決定を得て釈放され、その後昭和五〇年四月八日右両罪で「懲役一〇月執行猶予二年」の有罪判決を受け、右判決は控訴の申立もなくそのまま確定したことは当事者間に争いがない。

四本件解雇の効力

1  就業規則の適用、解釈について

(一)  原告は、本件解雇は新規則四二条六号後段(「犯罪を犯し禁固以上の刑に処せられたとき」)の懲戒事由によりなされたものであるが、有罪判決の対象とされた原告の行為は旧規則が施行、適用されていた昭和四六年五月三〇日になされたものであるところ、右懲戒事由は旧規則にはなく、新規則によりはじめて付加されたものであるから、原告の行為につき新規則を適用してなされた本件解雇は就業規則の遡及適用禁止の原則に違反し、違法、無効である旨主張するので、まず、この点について検討する。

被告会社が本件解雇にあたり依拠した就業規則(以下「新規則」という)は、昭和四七年一〇月一日施行されたものであること、新規則施行以前は昭和四四年施行の就業規則(以下「旧規則」という)が施行されていたことは当事者間に争いがなく、〈証拠〉によれば、新規則は懲戒の種類として、四三条に譴責、昇給停止、減俸、出勤停止、解雇の五種類を定め、その懲戒事由を列挙した四二条四号には「会社の名誉もしくは信用をきづつけたとき」、六号には「不正不義の行為により従業員の体面を汚損したときまたは犯罪を犯し禁固以上の刑に処せられたとき」、一〇号前段には「この規則または業務命令に違反して職場の秩序を乱したとき」と定められ、他方旧規則には、三六条に懲戒の種類として新規則と同様な五種類を定めており、その懲戒事由を列挙した三五条には、一号に「会社の名誉を毀損し、秩序を乱したり、社長、部長の正当な訓戒に従わざるとき」と定めていることが認められる。

右認定の事実によれば、有罪判決の対象とされた原告の行為がなされた昭和四六年五月三〇日当時は旧規則が施行されており、そして、原告が右行為につき有罪判決を受けるに至つた昭和五〇年四月八日当時には新規則が施行されていたことが明らかである。

ところで、懲戒は労働者にとつて不利益な処分であるから、特別の定めのないかぎり、問題とされている行為の時に施行されている就業規則に従つて懲戒権の存否を決すべきであるところ、これを本件についてみれば、本件解雇の事由の最も重要な部分ともいうべき本件犯行行為は旧規則が施行、適用されている当時になされたものであるから、その懲戒権の存否は本来旧規則の規定によつて決せられるべきであるといえる。ところが本件解雇は新規則四二条六号後段(「犯罪を犯し禁固以上の刑に処せられたとき」)の規定によりなされたものではあるが、右懲戒事由は旧規則三五条一号(「会社の名誉を毀損し、秩序を乱したり」したとき)の規定と実質的に同一であり、その具体的一事例を規定しているもの(すなわち、旧規則三五条一号の規定は新規則四二条六号の場合をも包含している)ということができる。けだし、後記認定のとおり、従業員数わずか十余名という小人数の被告会社において、従業員の行為につき有罪判決が言い渡され、禁固以上の刑に処せられた場合は、特段の事情がないかぎり当該行為が会社の職務に関して犯されたか否かにかかわりなく、一般に会社の社会的評価や企業秩序に相当重大な悪影響を及ぼすことが容易に推認され、会社の名誉を毀損するものということができるからである。そうだとすると、本件解雇は、新規則の規定による形式によつてなされているものの、旧規則上でも存在していたのと同一の懲戒事由に基づいてなされているのであるから、旧規則によつてされたものより不利益になるものとはいえなく、この意味において本件解雇を違法ということはできない。従つて、本件解雇は行為の時には懲戒事由がないのに、その後新規則により新たに付加された懲戒事由に基づいてなされた旨の原告の主張は採用することができない。

また、一般に、解雇などの意思表示は、特別の定めのないかぎり、意思表示の時点に規律さるべき手続に従つてすれば足りるものであるところ、本件解雇は、その意思表示がなされた当時に施行されていた新規則に従つてなされているのであるから、手続的にも違法ということはできない(前掲甲第一号証によれば、新規則は附則として「この規則は、昭和四七年一〇月一日から施行する。」と定めているが、新規則の施行に伴う経過規定については特別の定めがないことが認められる)。

(二)  また、原告は、新規則四二条六号後段所定の「禁固以上の刑に処せられたとき」とは、執行猶予の場合を含まず、「実刑判決」の意に解すべき旨を主張するが、右規定をそのように解すべき合理的理由はない。被告会社のような小人数の会社において、従業員の行為が判決により「犯罪を犯し」たものと認定され「禁固以上の刑」に処せられた場合には、たとい右刑に執行猶予の裁判が付せられたとしても、一般的にかなり強度の反社会的行為を行なつたものとして社会一般から不名誉な評価を受け、会社の社会的名誉信用を害し、企業秩序をみだすということができる。

2  就業規則四二条四号、六号後段該当性

(一)  被告は、原告が前記違法行為を犯し有罪判決を受けたことが就業規則四二条四号の「会社の名誉もしくは信用をきづつけたとき、」及び同条六号後段の「犯罪を犯し禁固以上の刑に処せられたとき」との懲戒事由に該当する旨主張するので、以下この点について判断する。

一般に、会社の社会的評価に重大な悪影響を与えるような従業員の行為については、それが職務遂行と直接関係のない私生活上で行なわれたものであつても、これに対し会社の規則を及ぼすことは認められるけれども、社会一般から不名誉な行為として非難されるような従業員の行為が会社の名誉、信用を毀損したというためには、必ずしも具体的な業務阻害の結果や、取引上の不利益の発生を必要とするものではないが、当該行為の性質、情状のほか、会社の事業の種類、態様、規模、会社の経済界に占める地位、経営方針及びその従業員の会社における地位、職種等諸般の事情から総合的に判断して、右行為により会社の社会的評価に及ぼす悪影響が相当重大であると客観的に評価される場合でなければならない(最高裁判所昭和四九年三月一五日第二小法廷判決民集二八巻二号二六五頁以下参照)。

そこで、本件についてこれをみると、〈証拠〉を総合すると、つぎのとおりの事実が認められる。

(1) 被告会社は、昭和二年哲学雑誌「理想」の発行を目的として設立され、以来一貫して哲学関係を中心に、思想、教育、倫理、宗教等に関する書籍を出版しており、その出版方針は、学術的価値を重視し、中正不偏の立場で日本の思想文化の向上に寄与することに置き、その業績は広く哲学を愛好する著者や読者の認めるところとなり、全国名地に常備店、特約店を有している。

(2) 被告会社の企業規模は小さく、昭和五〇年五月の本件解雇当時、資本金は四〇〇万円、従業員は一一名にすぎなかつた。すなわち、被告会社には総務部、経理部、編集部、営業部の四部が置かれ、各部にはそれぞれ部長のほか、次長、課長、係長等の職制が配置されることになつているものの、本件解雇当時には、編集部は部長土井一正、木下課長のもとに原告を含めて部員が三名、営業部は部長石井嗣基のもとに部員が四名(嘱託一名を含む)そして総務部には課長一名という少ない陣容であつた。

(3) 原告の所属する編集部は、主として雑誌及び図書の編集に関する事項を管掌し、右に関する著者との交渉や校正、印刷等の業務を担当するものであり、原告は単行本担当の編集部員として、部員全員による編集会議(後に企画会議と改称)で図書の編集、発行が決定されると、右決定に従い著者(翻訳であれば訳者)に対する原稿依頼の交渉(あるいは翻訳権取得のための交渉)、原稿の入手、点検、割付け、印刷所渡し、校正等の業務を担当していた。

なお、原告が入社以来本件解雇に至るまでの間に出版に関与した書籍は別紙「原告が担当した編集書籍一覧表」のとおりであり、原告はその担当職務を通じて、哲学、倫理、教育等人文科学関係の学者、評論家、訳者等と接触する機会を多く有していた。

(4) 原告は、昭和四六年五月三〇日明治公園で開催された沖繩返還協定締結反対の集会に参加した後のデモ行進の際、兇器準備集合、公務執行妨害の現行犯として逮捕、勾留された後、同年六月二一日右両罪名で東京地方裁判所に起訴されたが、同年一二月一三日保釈許可決定を得て釈放された(以上の事実は当事者間に争いがない)。

原告はその後、同月二一日から被告会社に復帰し、本件解雇に至るまで約三年半にわたり、従前どおり編集業務担当として就労していた。なお、この点について被告会社では、原告が長期間にわたり勾留されるに及んで、原告を休職処分に付することを検討したところ、当時施行されていた被告会社の就業規則では、休職に関する規定が不備で、同就業規則一七条一項に「業務外の傷病による勤務不能の場合」と定めるほかは、同条二項に「その他会社が休職を適当と認めた場合」と規定するのみであり、同二項の規定を起訴休職の場合に適用することについては疑義があるとの結論に達したために、原告を起訴休職に付することなく就労させていた。

(5) 本件解雇に至るまでに、被告会社ではつぎのような事件が発生していた。

① 原告の勾留期間中の七月分以降の賃金の支給をめぐり、被告会社と組合との間で交渉していた過程において、昭和四六年一一月二四日、組合執行委員長草野権和を代表者とする「三輪君救援会」なる団体が、少数の組合員を中心に多数の部外者を含む会員(約二〇名)を組織して被告会社に押しかけ、社屋を占拠して大衆団交的状況のもとに右賃金(七月分以降一一月分までの賃金と同年度冬期一時金)の支給を迫つた。右交渉は、同日午後五時頃から翌二五日午前四時頃までの徹宵団交に及び、その間、右会員らは被告会社役員(二名)に対し、大声を出し、或いは威迫的言辞を弄するなどして詰め寄り、結局、被告会社は右要求を受け入れるに至つた。右事実は逐次被告会社関係者の間に周知されるところとなつた。

② 被告会社は、主として雑誌「理想」の編集にあたり、左右に偏しない公正な編集方針を堅持するため特に編集顧問制度を設け、精神文化面における有力な学者に委嘱して発行の都度その助言を受けていたが、昭和四五年九月頃、当時「理想」の編集担当者であつた草野権和が、編集会議の席上「編集権は編集部員にある」旨の、顧問の関与を排斥する趣旨の発言をした。このため顧問側から委嘱辞退の意思が洩らされ、結局翌一〇月頃、右制度は廃止された。右制度の廃止は、一部関係者の間に被告会社の前記編集方針に対する疑念を抱かせた。

③ 被告会社は、雑誌「理想」の昭和四七年四月号として教育に関する特集号を発行する予定で、右に必要な企画を決定していたところ、担当者草野は編集部長吉井政俊の意見を徴することなく、既定の編集方針に背馳して独断で執筆交渉を行ない、その結果、内容において偏向した論説や資料が多数掲載された。このため、右雑誌を手にした関係者から「理想社らしからぬ偏向編集である」との批判が被告会社に寄せられた。被告会社は草野に対し職務指示書を発してその独断専行を戒めたが、草野は原告を含む六名の従業員とともに被告会社の右警告に対し「思想のチェック」「思想の弾圧」であると抗議し、そして、原告らとともに、同年五月二七日付「理想社の実態を訴える」と題する文書(パンフレット)を組合名義で執筆者や関係業者等に多数(約五〇〇部)配布した。右文書の内容は、前記「思想弾圧」に対する抗議のほか、被告会社の労務政策、「団交拒否」及びストライキを理由とする賃金カット等が不当である旨を部外者に訴え、被告会社に対する抗議方を要請するものであつた。右文書の配布により、被告会社の執筆者や支持者の一部には、被告会社内における激しい対立抗争の異常事態を知り、被告会社は「危い」「つぶれるかも知れぬ」というような不安感を抱くものがあつた。

(6) 以上のような経過を経た後の昭和五〇年四月八日、原告は、東京地方裁判所において、兇器準備集合、公務執行妨害の罪で「懲役一〇月執行猶予二年」の有罪判決を受けたが、控訴することなく右判決はそのまま確定した(原告が右有罪判決を受け、これが確定したことは当事者間に争いがない)。原告が有罪判決を受けたことに対し、被告会社に関係する執筆者の中には、原告をこのまま被告会社に在職させて置くことは被告会社の中正な出版方針に対する疑惑を招き、対外的信用を失墜することは必至である旨を被告会社に警告した者や、また、これに同調する意見を寄せた学者も多数いた。他方、これに対しては、原告の思想・行動を支持する立場から、原告が有罪判決を受けたことと、被告会社の対外的信用とは無関係であるとして、右有罪判決に対して何ら危惧の念を抱いていない学者も少なからずいた。

(7) 被告会社は、原告が有罪判決を受けるに及んで、執筆者らから寄せられた前記警告や意見及び、これまでの一連の事件(徹宵大衆団交事件、編集顧問制度の廃止事件、教育特集号事件、「理想社の実態を訴える」ビラ配布事件)が関係者の間に、被告会社の出版編集方針が変質するのではないかという危惧や疑念を醸成したことに鑑み、原告をそのまま在職させて置くときは、ますます被告会社の出版方針及び経営態度自体に対する対外的信用を失墜し、その結果、同会社の業務運営上著しい支障を生ぜしめることは必至であると考え、原告に対し何らかの措置をとることを検討した。

(8) ところで、被告会社の労働組合は、被告会社の業務機構の改革を目指す運動を契機として、原告らが中心となつて昭和四五年一月一四日に、石井嗣基を執行委員長とする五名の組合員をもつて結成されたが、その後組合の活動は原告や草野らの一部組合員により、本来の組合活動を離れて次第に政治的色合いを濃くし、政治闘争局等を設置して、沖繩闘争、三里塚闘争、入管法阻止闘争等の政治活動への参加を重視するようになつたため、これに批判的な組合員らが相次いで組合を脱退した。すなわち、吉井政俊が昭和四六年七月頃、組合の政治活動化傾向を懸念して組合を脱退したのをはじめ、同年九月三〇日には石井嗣基や木下修ら組合執行委員長、同副委員長の執行部役員経験者も、組合の政治闘争重視の方針に批判的見解をもつて脱退した。なお、他の組合員についても、その後、転職、病気、結婚等の理由で退社する一方、新たに加入する組合員はほとんどなく、現在組合員は、原告を含み、わずか二名にすぎない。

(9) なお、原告はその担当にかかる書籍の割付及び校正の点において、つぎのような初歩的ミスを犯すことがあり、編集事務能力に欠けるところがあつた。すなわち、「資料分類法概論」では誤字誤植の数は五八か所にものぼり、しかもその中には本扉の題名をも含む致命的、初歩的ミスが少くなかつた。また、「奇数頁の最終に見出しがくるのは避ける」とか、「柱は頁横幅の2/3以内に止める」というのは編集者としての常識であるところ、「法意識と実存的決断」については、これに反するミスを数多く犯し、そして「理想と実存」並びに「意思と表象としての世界Ⅲ」については、ともに奥付のコード番号(すなわち、取次店がその書籍の集品、配本、支払をその番号でコンピューター処理するもの)を間違えたほか、「シュレーゲル」ではゲーテとシェクスピアの写真説明を取り違えたまま出版するという誤りを犯した。さらに「マルクス」については、写真が生命ともいうべき書籍であるところ、これを印刷させるにあたり、写真銅版(又は写真亜鉛版)を直接使用することなく、紙型のまま印刷させるというミスを犯した。

原告の勤務態度については、勤務時間中にしばしば離席して、業務と関係のない作業に従事していることが少くなく、また、私用電話を数多く利用して大声で長話をすることが多く、いずれも上司から再三の注意を受けたにも拘らず、改めようとしなかつた。なお、原告は昭和四七年一〇月以降、被告会社所定の、休暇、欠勤、遅刻、早退、外出等の勤怠に関する諸届を怠り、上長の訓戒を受けてもその態度を改めなかつたため、昭和四八年一月一七日懲戒処分(減俸)を受けた。

(10) 被告会社は昭和五〇年四月二三日役員会を招集し原告の措置を検討したところ、原告の行為はその性質、情状に照らし懲戒解雇(就業規則四二条六号後段)に該当するが、本人の将来等を斟酌してまず退職を勧告することとした。ところが原告は退職勧告に応じなかつたため、被告会社は再度、役員会を開き、原告を就業規則一四条四号により通常解雇することを決定した。そこで被告会社は昭和五〇年五月一五日原告に対し、「原告は就業規則四二条六号後段の『犯罪を犯し、禁固以上の刑に処せられたとき』に該当し、懲戒解雇に相当すべきところ、一等を減じ就業規則一四条四号の『四二条一号ないし九号の規定に該当し情状により懲戒解雇に至らないと認めたとき』により解雇する。」旨の意思表示をし(この解雇の意思表示をした事実は当事者間に争いがない)、同時に五月分賃金一一万四三二円と解雇予告手当一か月分一一万五三四九円並びに退職金中被告会社支払分一二万一九〇円の合計三四万五九七一円を提供したが、原告はその受領を拒否したため、被告会社は同年五月二二日右金額を東京法務局に供託した。

以上の事実が認められ〈る。〉

(二)  以上認定の事実関係のもとで、原告の前記行為が、就業規則四二条四号所定の懲戒事由である「会社の名誉もしくは信用をきづつけたとき」に該当するか否かについて検討するに、原告は、沖縄返還協定締結反対の集会とデモに参加し、公務執行妨害罪と兇器準備集合罪に該当する犯罪を犯したというのであり、原告の右行為は、職場外でなされた職務遂行に関係のないものとはいえ、また、その動機、目的が何であろうとも、法治国家として許容し難い反社会性の強いものとして厳しく非難さるべきものであり、このことは、右犯罪につき懲役一〇月の刑を受けていることからも明らかである。

原告が右違法行為を犯し、有罪判決を受けたことは、従業員数わずか一一名にすぎない小規模の出版会社である被告会社にとつて、その社会的評価に相当悪影響を与えることは容易に推認されるところであるが、特に原告は、編集担当者として、刊行図書の企画に参画することや著者訳者等との交渉等をその職務内容とする極めて枢要な地位にあつたこと、被告会社は哲学を中心とする書籍の発行を目的とする会社であり、左右に偏しない公正な編集方針とその実績に対し、長年哲学を愛好する著者や読書から寄せられた信頼の上に経営基盤を置くものであるところ、自己の思想を貫徹するため敢えて違法な非平和的手段にまで訴え有罪判決を受けた原告との雇用関係を継続することは、被告会社の対外的信用を保持するうえから到底容認し難いものというべく、このことは、被告会社の前記編集方針に対する疑惑を招いたいわゆる教育特集号事件等一連の事件が既に発生していたという事情や、被告会社が有罪判決を受けた原告との雇用関係を継続することについて、被告会社の関係する執筆者のうち、相当数の者が危惧の念を寄せていたという事実からも容易に推察されるところである。(もつとも、原告が有罪判決を受けたことによつても、何ら危惧の念を抱いていない学者等が少なからずいることが窺えるが、被告会社の対外的信用に対する影響の有無を判断するにあたつては、前記危惧を寄せた執筆者が相当数存在したという事実を考慮すれば足るものというべきである)。

なお、被告会社が、原告の保釈後解雇に至るまでの三年六か月の間、原告に対し何らの措置をとることなく、書籍編集担当として原告を就労させていたことが認められるけれども、一般に、起訴休職は懲戒処分とは性質を異にするものであり、また、起訴休職に付するか否かは被告会社の自由な裁量によつて決すべきものであるところ、被告会社が原告を起訴休職に付さなかつたのは、就業規則の休職に関する規定が不備で、原告にこれを適用することにつき疑義をもつたためであるから、有罪判決を受けるまで原告の就労を認めたからといつて、原告の前記違法行為が被告会社の対外的信用に悪影響を及ぼしていないとか、被告会社が原告の前記行為を宥恕したものということはできない。

また、被告会社のような極めて小規模な企業において、前記違法行為によつて有罪判決を受けた原告との間に雇用関係を継続することは、職場秩序維持のうえからも悪影響を与えるものといえる。すなわち、原告が所属する編集部は、部長のほかわずか四人が日夜企画会議で、相互に接触する機会の多い職場であり、また、組合の政治闘争重視の方針に同調する従業員の極めて少ない職場に、公安事件に関連して有罪判決を受けた原告との雇用関係を継続することは従業員間に違和感を生ぜしめ職場秩序維持のうえからも相当ではないといえる。

以上の諸事情を総合勘案すると、原告が前記違法行為を犯し、これにより有罪判決を受けたことは、被告会社の社会的評価に重大な悪影響を与えるものというべく、就業規則四二条四号及び六号後段に該当するものということができる(なお、四二条四号は同条六号と実質的に同一内容の規定であるが、六号後段は四号に該当する場合の一事例を規定したものということができる)。

(三)  原告の編集事務能力、勤務態度及び懲戒処分歴等は既に認定したとおりであつて、本件解雇の相当性を判断するにあたり、情状として特に原告に有利な事情を認めることはできない。

(四)  以上によれば、被告会社が普通解雇事由を定めた就業規則一四条四号を適用してなした本件解雇は相当というべきである。

3  解雇権の放棄について

原告は、被告会社は昭和四六年五月三〇日の原告の犯行行為を理由とする解雇権を放棄したと主張する。

被告会社が昭和四六年六月三日原告が所属する組合に対し「編集部員三輪新吾(原告)が沖縄問題に関する大衆行動に参加して不当に拘留されたことについて、会社側は今般の場合一切の処分を行なわない。また、今般の事実について、会社側は社外に一切口外しない。」との内容の確認書と題する書面(甲第三号証)を差入れたことは当事者間に争いがない。

〈証拠〉を総合すると、同年六月三日組合執行委員長石井嗣基及び組合員草野権和が当時の被告会社の代表者佐々木隆彦を訪れ、勾留のため就労できない旨を記載した原告作成の休暇届を提出するとともに、原告は一、二週間程度で釈放されると思うのでなるべく穏便にとりはからつてもらいたいと懇請し、前記確認書と題する文書に署名するよう求めたこと、佐々木は右申出によつてはじめて原告の逮捕、勾留の事実を知り、右申出に応じて確認書を作成したことが認められ、右認定に反する証人草野権和の証言は前掲各証拠に照らし措信できず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。右認定事実によると、佐々木隆彦は、原告が短期間で釈放されることを予想して右確認書を作成したものというべく、後日、勾留期間が半年以上もの長期に及ぶことや、有罪判決を受けた場合をも予想したうえで右確認書を作成したものとは到底認めることができない。従つて、右確認書があるからといつて、被告会社が原告に対する解雇権を放棄したものということはできない。

また、被告会社が昭和四六年七月一〇日組合との間で、同年度の年間一時金を原告についても支給する旨を約し、その旨の確認書(甲第四号証)を作成したことは当事者間に争いがなく、さらに被告会社が同年一一月二五日、組合執行委員長草野権和を代表者とし、一部組合員と多数の部外者をもつて組織された「三輪君救援会」なる団体の強い要求に応じて、勾留中の原告の七月分以降一一月分までの賃金と、同年度冬期一時金を支払うことを約し、その旨の申入書(甲第五号証)を作成するに至つたことは、さきに認定したところである。

しかしながら、右認定の事実によつても、被告会社が原告につき解雇権を放棄したことを裏付けるに足るものではなく、他に被告会社が解雇権を放棄したことを認めるに足りる証拠はない。

4  不当労働行為について

(一)  原告は、本件解雇は不当労働行為であるとして、請求原因三4において、(一)(1)(2)、(二)(1)(2)、及び(三)(1)ないし(10)の各事実を主張するので、以下この点について順次判断する。

(1) 請求原因三4(一)(1)(組合結成に至る経過)について

〈証拠〉によれば、原告が昭和四四年九月頃、「会社再建建白書」を起草し、業務機構の改革を求めて会社再建運動を積極的に推進していたこと、右運動が契機となつて、従業員の労働条件や地位の確立を目指して昭和四五年一月一四日労働組合が結成され、石井嗣基が執行委員長、そして原告が書記長となつたことが認められる。なお、被告会社が「井上編集長の体制に不満な従業員は解雇する」旨を示唆したとの点については、原告本人尋問の結果中にはこれに沿う部分があるけれども、右原告本人尋問の結果はたやすく措信できず、他に右事実を認めるに足る証拠はない。

(2) 同三4(一)(2)(組合結成通告に対する会社の対応)について

昭和四五年一月一四日、佐々木社長及び大江取締役に対し、組合結成の通告がなされたことは当事者間に争いがなく、原告本人尋問の結果によれば、取締役大江清一が、一旦は右結成通知書の受け取りを拒否したうえ、原告ら組合代表に対し、原告主張の内容の発言をしたことが認められる。

(3) 同三4(二)1(昭和四五年夏期一時金の支給)について

被告会社が昭和四五年六月二四日に夏期一時金を支払つたこと、その後吉井政俊が組合脱退の意思表示をしたことは当事者間に争いがない。原告は、右夏期一時金の支払は、被告会社において、組合が夏の一時金要求を提出することを知つていたにも拘らず、組合の分裂を策して要求提出以前に一方的になされたものであると主張するが、これに符合する原告本人尋問の結果はたやすく措信できず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。また、原告は、被告会社が夏期一時金を一方的に支給した結果、吉井政俊の組合脱退を招来した旨主張するけれども、同人が組合を脱退した理由は、組合が本来の組合活動とは別に、政治活動への参加を重視するようになつたことに懸念を感じたことによるものであることはさきに認定したとおりである。(なお、前掲乙第六一号証及び弁論の全趣旨により成立を認める甲第五六号証によれば組合は、吉井が昭和四五年七月一三日付で脱退を申し出たのに対して、脱退の理由が極めて暖昧であり、根拠ある理由を明らかにしないこと等を理由として、脱退願いの受理を拒否したうえ、同人に対し、同年八月一四日除名処分をしたことが認められる)。

(4) 同三4(二)(2)(下村導入)について

昭和四六年四月二日の春闘交渉に際し、会社側が下村鉄男を交渉委員に選任して団体交渉に出席させたこと、会社は同人の地位につき「同人は週二回出社の嘱託の経営コンサルタントである」との説明をしたことは当事者間に争いがない。〈証拠〉によれば、右下村の出席資格をめぐり団体交渉は紛糾し、その後何度かの交渉の末、結局、組合側は、会社側が労使双方の出席者(下村も含む)を各四名とする旨を申し入れたのに対し、これを拒否して執行委員全員(八名)の出席を要求するとともに、下村の出席についても、同人の地位及び権限が暖昧であること、役員でない単なる嘱託にすぎない人物が団体交渉の正式メンバーとして出席することに疑義があることを理由としてその出席を拒否する旨の回答をしたことが認められる。

(5) 同三4(三)(1)(昭和四六年八月の草野に対する発言)について

昭和四六年三月二八日、被告会社が、当時の組合委員長草野権和との間で、原告の賃金等について交渉していたことは当事者間に争いがないが、当時、大江、佐々木、吉井、石井らが、草野に対し、原告主張のような発言をしたことについては、本件全証拠によつてもこれを認めることができない。

(6) 同三4(三)(2)(石井嗣基の課長昇格等)について

被告会社が、昭和四六年一一月二五日、新に総務課を設け、石井嗣基を同課課長兼営業部の課長に昇格させることを発表したことは当事者間に争いがない。ところで、原告は、石井の右課長昇格は、労働協約に定められた人事異動に関する事前協議制を無視し、組合との協議もせずに突然になされたものであると主張し、成立に争いのない甲第五一号証によれば、従業員の配置転換及び人事異動に関する事前協議制を定めた労働協約が締結されていることが認められるけれども、石井の課長昇格が事前協議制に反してなされたという点については、これに符号する原告本人尋問の結果は、証人石井嗣基の証言に照らしてたやすく措信できず、他にこれを認めるに足る証拠はない。

また、石井嗣基が組合員須藤正勝に対して営業部主任になるようにとの発言をしたことは当事者間に争いがなく、前掲乙第五六号証によれば、当時営業部としては、取引先との折衝等で外出する必要の多い営業課長を補佐するため主任を置く必要があつたこと、主任としては、勤続年数その他の点から須藤が最も適格者であつたこと、被告会社では主任はいわゆる管理職ではなく、組合員たる地位を兼ねることも可能とされていたことが認められる。(従つて、石井の前記発言が、須藤の「有利」をはかることにより、組合員の分断を策したとの原告の主張は採用できない)。

(7) 同三4(三)(3)(昭和四七年春闘のステッカー破棄等)について

昭和四七年四月三日、組合が七二年春闘のために社屋内外に貼付していたステッカーが何者かにより破棄されたことは当事者間に争いがない。〈証拠〉によれば、組合が同年四月七日被告会社に対し、文書により右ステッカー破棄の責任を追求したところ、会社は、同月一五日そのような業務命令を発したことはない旨回答したこと、会社は五月八日組合に対し、会社の許可なく、組合掲示板以外の会社の施設等に社用以外のポスター、ビラを貼付もしくは掲示してはならない旨を告示し、そして、同月一〇日右告示に反して二階営業部に貼付された二枚のビラを撤去するとともに、同月一一日、告示以前に貼付もしくは掲示してあるビラの撤去方を組合に要求したが、組合は同月一二日、会社玄関等に新たに、社長等を中傷した多数のビラを貼付したため、同月一六日、右ビラの撤去方を重ねて組合に通告したことが認められる。

(8) 同三4(三)(4)(山下導入)について

被告会社は昭和四七年四月三日営業部会議で山下英俊を営業部にアルバイトとして入社させる旨発表し、社内に掲示したが、四月一〇日に至り、同人が総務課の正社員として入社させる旨発表したこと、これに先立つて、組合が三月一六日の七二年春闘要求の第十項で、営業部及び編集部各一名の人員補充を要求していたのに対し、会社は三月二七日付の回答で「経営上及びその他の事由により七二年度は不可能である」と回答し、右要求を拒否していたことは当事者間に争いがない。原告は、山下の採用は新規採用に関する協議権や従来の慣例に違反した不当な採用である旨主張するが、〈証拠〉によれば、昭和四五年四月二二日に締結された労働協約(甲第三三号証)には「採用、解雇、配置転換、人事異動については、事前に本人及び組合と協議する。」と定められていたが、右条項はその後、昭和四六年二月一七日締結にかかる労働協約において「会社は従業員の配置転換及び人事異動を行なおうとする場合、事前に当該従業員(役付従業員を含む)及び組合と協議する。」と改訂され、かつ、右協約の有効期間は昭和四六年二月一七日から一か年とする旨定められていることが認められる。そうすると、被告会社が山下を採用した昭和四七年四月当時には、右労働協約は既に失効しているものというべく、仮りにこの点を措て置くとしても、従業員の新規採用については、右改訂された労働協約のもとでは、もはや事前協議の対象事項とはされていないものというべきであるから、事前協議に関する協約違反をいう原告の主張は、これを採用することができない。また、被告会社が、組合からなされた、営業部や編集部への人員補充要求を拒否して、山下を総務課に正社員として入社させたからといつて、そのことから直ちに、原告主張のように、不当な採用であるとか、組合対策要員として採用したものということはできなく、他に原告の右主張を裏付けるに足る証拠はない。(なお、前掲乙第六六号証によれば、当時、被告会社の総務関係の事務量が増大し、担当者の増員を必要としていたことが窺われる)。

(9) 同三4三(5)(団交ルールの設定)について

〈証拠〉によれば、被告会社は昭和四七年四月二一日いわゆる七二春闘要求に関する組合の団体交渉の申し入れに対し、まず、団体交渉の手続(団交ルール)の設定を求め、また、団交ルールを協定した後に団体交渉に応ずると通告し、あわせて、つぎのような団交ルールの確立につき再三事務折衝を申し入れたこと、すなわち、そのルールの要旨は、①団体交渉の出席者は、労使双方各四名以内とする。②団交申入れは、日時、場所、議題、出席者名を記載した文章をもつて三日前までに相手方に通知する。③団交の時間は一回当り原則として二時間以内とする。④団交は原則として就業時間外に行なう。というものであつたこと、組合は、このような一方的な団交ルールの強制は組合に不利益を課し、また、従前の労使慣行にも反するとして、一貫してこれに応じない態度をとり、団交開催要求を重ねたが、会社が同一の理由で団交を拒否するという事態が繰り返されたこと、組合は同年七月一八日東京都地方労働委員会に団体交渉開催のあつせんを申請し、同月一九日、同委員会より、①団体交渉の出席者は労使双方とも各四名以内とする。②団体交渉は三時間を目途とする。③団体交渉(就業時間内)は業務に著しい支障のある時間帯を避けて双方が決定する、という内容のあつせん案が示され、これを双方が合意して、ようやく団体交渉が開催されるに至つたことが認められる。

(10) 同三4(三)(6)(昭和四七年四月のスライキに対する賃金カット)について

〈証拠〉によれば、組合が昭和四七年四月一七日、会社のステッカーはがし、山下導入、春闘の低額回答等に抗議してスト権を確立したことが認められ、組合が同年四月二六日午前一一時からストライキを行なつたこと、これに対して被告会社は、同日、組合に対し、会社に事前に通告なしにストライキに突入したとして、ただちにストライキを解除するよう警告するとともに、警告に従わないときは就業規則に基づき懲戒処分に付する旨の警告書を発したことは当事者間に争いがない。また、被告会社が、右ストライキに対して賃金カットを実施したことは当事者間に争いがなく、〈証拠〉によれば、被告会社が、同年五月九日組合に対し、スト決行について、四八時間以前に文書をもつて事前通告をすること、そして、これに反する抜打ストに対しては懲戒処分をする旨を申し入れたことが認められる。ところで、被告会社が昭和四六年春闘のストライキに際し、賃金カットを含み処分は行なわない旨の確認をしたことは当事者間に争いがないが、組合がスト権の確立について事前に会社に通告した旨の原告の主張については、これを認めるに足る証拠はない。

(11) 同三4(三)(7)(会社側の対抗ビラやパンフレットの内容等)について

組合が昭和四七年五月二七日付「理想社の実態を訴える」と題する文書(パンフレット)を執筆者や関係業者等に多数配布して情宣活動を行なつたことは、さきに認定したとおりであり、被告会社がこれに対抗して、その主張を明らかにするため、右関係者等に対し多数の書簡を送付したことは当事者間に争いがない。原告は、被告会社がその書簡の中で、いわゆる六・三確認に違反して、原告の逮捕事実や係争中の行為をとりたてて積極的に宣伝し、組合(員)を著しく傷つけた旨主張する。なるほど、被告会社が組合との間で、原告の本件犯行について、社外に一切口外しないことを約束したことは既に認定したとおりであるが、〈証拠〉によると、被告会社がその書簡の中で、従前の経過に鑑み、団交ルールの必要性を説明する一環として、原告の名前を明示せず、Bという名前で、逮捕、勾留されたことや、その公判の進行状況について簡単に述べているにすぎないことが認められるのであつて、右のような限度でこれを明らかにしたからといつて、前記約束に違反したものとはいえない。また、原告は、被告会社が前記書簡の中で、事実を捏造し、組合(員)に対し中傷をした旨主張するけれども、その具体的事実については主張も立証もない。

(12) 同三4(三)(8)(就業規則の改訂)について

被告会社が昭和四七年九月七日、就業規則を改訂する意思のあることを明らかにし、これについて石井嗣基、木下修及び草野権和に対して意見を求めたことは当事者間に争いがない。〈証拠〉を総合すると、被告会社は、就業規則の改訂につき従業員の意見を求めるにあたり、当時、組合員数が従業員の過半数に達していなかつたため、組合非加入者から二名、組合員から一名宛の選任方を求めたところ、組合非加入者からの代表者として、石井嗣基及び木下修の両者が選定されたが、組合からは代表者の選定がなかつたため、前記両名と、組合執行委員長草野権和の三名宛に意見を求めたこと、ところが組合は、右就業規則には労働協約違反の疑いや、既得権の侵害があること等を理由に団体交渉の開催を要求し、これに対し被告会社は、団交の議題が極めて抽象的であるとの理由で団体交渉を拒否するとともに、議題の詳細かつ具体的な提示を組合に求めたこと、その後も組合が①就業規則制定に伴う手続上の違法性について②就業規則各条項における違反・不当性についての二議題を掲げて団体交渉を要求したが、被告会社は前同様の理由でこれを拒否したこと、このようにして、結局、団体交渉が開催されないままに、被告会社が同年九月二〇日右就業規則を労働基準監督署に届け出をし、そして、同年一〇月一日をもつて右就業規則が発効したことが認められ〈る。〉

右認定の事実によれば、就業規則改訂の手続につき、特段の違法事由を見出すことはできなく、また、被告会社が団体交渉開催の要求に応じなかつたことについても、前記認定の事実のもとでは、正当な理由を欠くものとしてこれを批難することはできない。

(13) 同三4(三)(9)(草野の配転等)について

被告会社が草野権和に配置転換を命じたこと、配転直前の昭和四七年一一月二九日、大江精一らが、草野と懇談した際、その席上で草野に対し、「君のやり方は理想社の伝統にそぐわない。反省して貰いたい。」旨の発言をしたことは当事者間に争いがない。原告は、草野の配転は同人の組合活動を理由としてなされたものであると主張するが、被告会社代表者下村鉄男本人尋問の結果によれば、被告会社は昭和四七年一二月一日付で、当時雑誌「理想」を担当していた草野を、雑誌編集から校正担当に配転したが、その理由は、同人が雑誌「理想」の昭和四七年四月教育に関する特集号において、独断で偏向した編集を行ない、被告会社が職務指示書を発してその独断専行を戒めたところ、何ら反省しないばかりか「思想のチェック」であると抗議し、同年五月二七日付「理想社の実態を訴える」と題するパンフレットを組合名義で執筆者や関係業者に多数配布するという行為に及んだため右配転がなされたものであることが認められ〈る。〉

(14) 同三4(三)(10)(組合事務所の明渡要求)について

被告会社が昭和四九年七、八月頃組合に対し、再三にわたり組合事務所の明渡方を求めたこと、これに対し組合は代替事務所の保障を要求して明渡を拒否したこと、家主である大江一精が組合員に対し、明け渡さなければ提訴することもあり得る旨発言したこと、組合は同年九月二一日東京都地方労働委員会にあつせんを申請し、同月二八日代替事務所の貸与等を内容とする労働協約が締結されたことにより解決するに至つたことは当事者間に争いがない。〈証拠〉を総合すると、組合は、当時、被告会社の敷地内の倉庫に隣接する物置小屋を組合事務所として使用していたが、これら附属建物を念む被告会社社屋のすべては、大江一精ら大江家の所有にかかり、被告会社がこれを賃借していたものであるところ、大江家が同一敷地内に存する居宅を改築するため、被告会社に右倉庫等の返還を求めたことにより、被告会社が組合に対し組合事務所の明渡しを求めるに至つたものであることが認められ〈る。〉

右認定の事実によれば、被告会社が組合事務所の明渡しを求めたことについては、原告が主張するように被告会社が、組合を社外に放逐するために殊更とつた措置とはいえなく、他に原告の右主張を裏付けるに足る証拠はない。

(二)  以上に認定した事実関係のもとでは、本件解雇が原告の組合活動の故をもつてなされたものということはできない。すなわち、前記認定のとおり、被告会社と組合との間には、団交ルールの設定、新就業規則の施行、組合事務所の明渡しその他幾多の点で対立抗争があり、原告は組合書記長として組合の中心的立場で組合の主張貫徹のため活動し、また、被告会社も種々の労務対策を講じたことは認められるけれども、被告会社が下村・山下導入後一貫して不当労働行為を繰り返してきた旨の原告の主張は、前記4(一)において認定した事実関係のもとでは到底認められないところであり、そして、他に本件解雇につき不当労働行為を推認させるに足る証拠はない。

従つて、本件解雇が不当労働行為を構成する旨の原告の主張は、これを採用することができない。

5  雇用関係の消滅

以上の次第であるから、本件解雇は有効であり、従つて、原告と被告会社との間の雇用契約は、本件解雇の意思表示がなされた昭和五〇年五月一五日の経過をもつて終了したものというべきである。

五結論

よつて、原告の本訴請求は、いずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。 (松村雅司)

賃金(一時金を含む)目録(一)〜(四)

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原告が担当した編集書籍一覧表

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